芳野恵里奈

たくさんの経験の中で
得た心地良さ


芳野恵里奈 2014年入社
東京支社 係長

どのような経緯でフレシードに?

芳野さんは入社後に一度退職をされていますが、どのような経緯だったんですか?

知人の紹介で入社しましたが、4~5年勤めた後に別の仕事にも興味があり、そっちで一度チャレンジしたいと思い、退社しました。


またフレシードに戻った理由は?

他の業種で仕事や人間関係をいろいろ経験して、その中でふと、フレシードに戻りたいなと思いました。 フレシードに勤めている人達の人柄や、風通しの良いところが離れてから分かりました。 出戻りもちょっとカッコ悪いなと思うところもありましたが、当時の支社長に電話をして「もう一度やらせてもらえませんか?」と伝えたら、 快く「戻ってきても全然いいと思うよ」と言われたときは、嬉しかったですね。 戻るからには前よりも働かなきゃ!と思いました。なので、腹をくくってから電話はしましたが。(苦笑) 戻ったときの皆の反応が「おかえり~」という感じでしたので、すぐに馴染めました。
作成責任者について

埼玉支社に戻ってから、人事異動で東京支社配属になりましたね。 異動と同時に作成責任者を行っていますが、いかがでしょうか?

最初はマネジメントのほうをやっていくつもりだったので、「なんで私が選ばれたんだろう」とは思いました。 転勤はそんなに拒否感はありませんでしたけど。商品の作成はもちろんですが、 お花の管理と仕入、原価管理をセットで始めなくてはいけなかったので当初は大変でした。


具体的にはどういった点が大変でしたか?

お客様に喜んでいただけるような祭壇を納品したいのはもちろんですが、そこと原価のコントロールの両立は難しいと感じます。 支社全体として商品品質も落としてはいけないし、仕入価格が影響する市場情勢もタイムリーに知るようにして、 会社として最善策は何か勉強をしている感じです。
移動についてどう考えましたか?

マネジメント希望から生産管理へシフトするというのは大きな変化だと感じますが、いかがでしょうか?

マネジメントをしていたときはスタッフのフォローやお客様のことを気にかけてやっていましたが、 生産管理というピンポイントのところ(品質管理・仕入)を見ていくことになるので、最初はちょっと孤独だなと思いました。 自分との闘いではないですけど、自分が全部やらなくてはいけないと思っていた時期はありました。 でも今は同じような役割を持った人がいて、あとは周りの人もお花の使い方に協力をしてくれるようになったし、 作成をやりたいと言ってくれる人もでてきたので、安心して任せられるようになってきました。
この先の展望などありましたら

そのように思えるきっかけは何かありましたか?

私が異動になったときは、先輩の後任として入ったのですが、先輩が異動になってから、私ひとりになったときに殻が向けたのでしょうか(笑) パートさんから「芳野さんが来て働きやすくなった」というの言われて、私も馴染めているのかなぁとは感じました。


この先の展望などありましたら、お聞かせください!

子供ができた後でも社員で働きたいと思っています。 女性で責任ある立場でやらせてもらっている中で、フレシードの中での働きやすさを体現して、 他の女性スタッフにもフレシードでこういう風に続けていけるよっていうのを見せていきたいです。
作業風景